中学に入ると吉祥寺のお婆ちゃんが(親父の母が)病気がちで祖父母と同居する事になったんだ。
その頃、オレは自分で稼ぐ事を覚えた。
オレは中学の時から身長が180センチもあったし
トシを誤魔化して24時間の喫茶店で働いたり、新聞配達をしたり
吉祥寺の街で高校生の不良からから集金をして稼ぎ、今度は学校で一番の金持ちになった。、
屈折編
高校は、都立の普通科に入った。
私立高校は、お金がかかるので選択肢になかった。
「内申が低いし最低の工業高校しか受からない」と言われていたが、
工業高校に行って溶接や旋盤の技術を覚えるぐらいなら「オレは中卒でいいや」と思い
都立普通科を受験。
当時、近くの都立普通科は、かなり上の成績でないと受からん学校だった。
試験日も遅刻、一科目の途中から受けたのに、なんと合格した。
内申は、23ぐらいだったから、入学した高校の合格者の中で2番目に低かった。
オレより低い奴がいたのには驚き。
そんな時、母は電撃的に「嫁姑の仲が上手くいかない」と弟を連れて国分寺の家で別居。
母は父に「あなたはこの家に残らないと今まで親を見てきた実績がなくなってしまう。」と
父を残して別居すると言って聞かない
母は「一時的な非難」と言う事で父と私は吉祥寺に残る事になる。
母は、「夫婦の老後の為に」と今まで貯めてきた貯蓄を管理した上に
父の給料を全額母に振り込ませた。
母を信用していた父は、生活費を放送局以外のアルバイトで捻出した。
もちろんオレは家にかえっても、ご飯はない、雨風しのげる家があるだけだった。
このトシで自分で生活費すべてやりくりするようになる。
高校も一年もたたずにやめて、定時制に通うようになる。
葬儀屋で働いたり、整備士をしたり、ゴミ屋をやったり、公表できない仕事をしたりして稼いだんだ。
その頃ブームだった暴走族にハマる。
12月生まれのオレは16歳まで待ちきれず単車を買ってしまう。
単車で教習所に通っていたもんだから教習所でおまわりさんに捕まってしまう。
単車はGS400を450にボアアップして、泪ライン、ZUの尾っぽをつけて走っていた。
ZUの尾っぽなんかはオレが元祖じゃないかな〜
クルマも18才まで待ちきれずケンメリを買った。
パール紫にオールペンして毎晩、アルタ前でナンパしていた。
面倒を見てやった数は4桁にのぼる。
質より量派と呼ばれた。
このクルマで深大寺で尻振りダンス(当時、直ドリと言う言葉はなかった)
をしていて道路脇の造園屋のデカイ庭石にぶつかり横転、
助手席のお友達はフロントガラスで顔をがっぽり切ってしまった。ごめんなさい。
この事故を昼のワイドショウで取材にに来た。
深大寺は霊場なので「霊の仕業だ」と言って欲しいのだそうだ。
次なる車はラムダスーパーリング
時代はハイソカーがブームになりつつあったんだ。
この車はデボネアの2600CCに載せ変えJUNオートメカニックで3000ccのフルチューンをしたんだ。
当時のお金で400万ぐらいかけたかな。
180キロのスピードメーターぶっちぎり トリップカウンターの棒で止まり
5速でレッドゾーンまで回った。
エンジンはもちろん外観も徹底的に手を入れて車雑誌によく登場したんだ。
暴走族とクルマで目立ってただけに敵対チームにも狙われていた。
オレを取れば手柄だったらしい。
オレも極真なんかをやっていたから、なんとも思っていなかったんだけど。
クルマのドアをあけていきなり声もかけずに座っているオレを
鈍器で眉間を殴られ顔面陥没骨折。
意識不明で生死をさまよい3ヶ月入院した。
別居した母が妊娠した。
トシの離れた妹が出来る。
暴走族では、かなり有名人だった。
岡 まり子チャン
質より量を目指したオレは
男女を区別しなかった。
外人でもOK
クリスティーヌは、誰がいようが
お構いなし、すぐ脱ぐ。
縄張りを荒らす奴は
力ずくで追い出した。
オレ達に歯向う奴は,
公衆の面前で見せしめにさせられた。
外国とも同盟を結んだ。
ショーダンサー