バブリン伝説
お忙しいところ、恐れ入ります。
わたくし、バブリン三島 と申します。
本名は、三島 伸介と申します。
スーパー耐久シリーズ及びポッカ鈴鹿1000キロに参戦したり
走行会のゲストや講師などしています。
スーパー耐久はGTの次に人気のあるレースで
観客動員数は決勝日で4万人弱の方が見に来られます。
   2002年は、2位になりました。
また、筑波ナイター耐久に「ゲンロク」誌の企画で、
エムズマシンワークスさんの協力で日本で初めて
1レースにポルシェで参戦しました。
今年はGT選手権に乗る為にテストやいろいろなチームにお願いしたり、
オーデションでタイム出してGTに乗せてもらえる話になっても、この景気のせいでタダで乗せてくれるようなチームはありません。
レースに行くと「オレ に乗せてみろ!」と言う気持ちがいつも沸いてくるので
なんとか来年は、参戦してやろうと思っています。
昨年は、チームDーTVで走らせているGT3の監督をやりながら、走行会のゲスト、ドライビングインストラクターなどをしたり、雑誌に記事を書かせて貰い、筋力トレーニングをしてハンドルやクラッチの重たい車でも真夏に1時間半(ガソリン満タンでなくなるまでの時間)を数ルーティンこなせるよう筋力をつけ、出るところ出たら認められるように腕を磨いてきました。
「バブリン三島」と言う名前は「スピマイある」編集長のドラキン青砥さんから、雑誌上で強制的に「バブリン三島」と源氏名を頂き、「スピマイあ〜る」「レーシングテクニック」「レーテック」「スピードマインド」には頻繁に登場させて頂きました。
おかげで、レースデビューする前から全国的に有名人になってしまいました。
ライセンスネームまで、編集長の主催するJAF団体「ワープ」で申請するにあたり「バブリン三島」で登録しました。
編集長に、この名前をつけられた理由は、ポルシェに乗っている人は、ポルシェオーナーの為の走行会で走るのが普通ですが、私は通常の走行会やサンデーレースで国産車にまじって走っていたので特別に見えたようです。
そんな「バブリー」なイメージから「バブリン」と源氏名を頂きました。
とは言っても本当は、「コジッキー」なのです。
精一杯背伸びしてポルシェを買ったのです。
協賛や応援して下さる皆さんのおかげで維持が出来ているような状態です。
 ホントありがとうございます。
名前とのギャップから、この名前は、最初はイヤだったのですが非常にインパクト強い名前なので、皆様から「バブリン」とすぐ覚えてもらえるから、今では良かったなぁと思っています。こんな、濃いキャラクターのせいか、「スピマイあ〜る」「レーシングテクニック」「レーテック」「ナインイレブンデイズ」「911マガジン」「ポルシェEGO」「ポルシェファン」等では、いつも私を取り上げて頂き非常に有名人になり原稿まで書かせて頂くように成りました。

また、雑誌の企画で全国のサーキットを沢山走らせて頂き、有名になったおかげでドラテクスクールの講師や走行会のデモランや同乗走行、チューニングショップのクルマの
テストをするように成りました。

レースを始めた理由は、98年「スピマイあ〜る」誌で、
「全国に通用する、レーシングドライバー!
レースで飯が食えるドライバーを育てる。」
と言う企画で、200人以上の応募の中から40人弱の
メンバーが選ばれました。私は、その一人です。

これをきっかけに、雑誌の企画やバックアップで
ドラテク修行をしてきました。そのメンバーの中でも私は、キチガイ的な速さで
進化し続けています。

協賛して頂いた、ウインズ・レーシングスクールで
ドラテクを修行させられ、最短で卒業させて頂き、
99年は、レーシングスクールの中でも優秀だった
メンバーの選抜により、MR2ターボで筑波9時間耐久、
N1耐久レース等に参戦させていただきました。
私は、第一ドライバーで予選アタッカー担当しました。
有名ドライバーやスーパー耐久マシンの参戦している中で、ポールポジション(コースレコード)も取らして頂き、3位という結果も出しました。
また、個人的に私自身のクルマは、ポルシェ993RSクラブスポーツの
ナンバー付、外観だけGT選手権仕様はどう見てもレーシングカー、非常に目立ちます。
身長は、180センチありますし、容姿は歳をとって、
ポイント下がりましたが、若い頃は、かなりモテました。
(今は駄目ですけど・・)神宮プールで
本職(モデル、芸能人)さえ出てこなければ、一番でした。
(当時ボディビルをしていて「北斗の拳」みたいな体でしたし・・・)

育ちもかなり悪く、貧乏自慢では負けた事がありません。
少年の頃は、お金がないので、新聞配達などありとあらゆる事をして稼ぎました。
子供の頃は腕力の世界、貧乏で皆から、イジメられたくないので、柔道、空手、ボディービル等やり腕力をつけました。
柔道は、お金がないので200円と言う破格の月謝で通いました。
 涙、涙の話しですが、今となっては、育った環境が、レースを争いドラテクを向上していく上で、ハングリー精神と言うか
「いい影響しているなぁ」と言えます。
その為、若い頃は、グレていまして暴走族の親玉でした(三OスペOター)
 当時の東京では、かなり有名だったんではないでしょうか?

レーシングドライバーの中には元暴走族だったという人もいない訳ではありません しかし下っ端で集団の一人だったのでは面白くありません。
「サラリーマン金太郎」みたいな人物の方が方が話題性があって
面白いんじゃないでしょうか。

 もちろん若い頃の話しで今は、たいへん真面目な良い人です。

そんな、若い時をすごしてしまった為、お金のない私などには、
サーキットで走るレーサーなんていうのは、今まで夢のまた夢でした。

ですから20代のころは、睡眠時間を削ってアタマがショートするくらい
使って、体がぶち壊れるくらい仕事していました。

しかし数年まえ、父が病気で倒れ、そのうえ別居している母の問題で、自分の仕事をする時間がなくなり、ノイローゼ状態となり
ストレス解消でサーキットへ行き出したら、これが病み付きになってし  まったのです。

そんなことから、次なるる目標!「歴史上の重要人物になる。」に向かって方向転換しました。
どのぐらい重要人物かと言うと「知ってるつもり?」に登場するのは、あたりまえぐらいの人物になる事です。
その道で人より秀でる為には、好きな事をする事が一番だと私は思うのです
好きな事でないと、アルファー波が出ない、好きな事なら風邪ひいたってクルマいじったり出来る。
重要人物になるという事は、人に影響力があるようになる事、その為には有名になる事!
それじゃあまず「好きな事で、オンナ・子供・ジイちゃん・バアちゃんでも知っているくらい有名になったろー」と言う事で、レース活動を本格的にはじめました。
今後もさらに、公認レースはもちろん、媒体への露出活動も精力的に続けていきます。

もっと詳しくバブリンの事が知りたい方は

こちらから どうぞ・・・・・

そして「2005年、GTに乗ったろかー」計画を推進していきます。